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| 竹工芸について 現代芸術には様々な分野が存在します。 中でも竹工芸というものは日本人にとって密接な関係を持つ工芸と言えます。 ここでは竹工芸という芸術の生い立ちや歴史を説明します。 竹工芸の歴史 古代から日本人が親しんできた「竹」という素材を利用して、我々の祖先がどのようにして「竹工芸」という芸術までその技術を昇華していったのでしょうか。 古代人の知恵 〜 民芸品としての発展 縄文時代の頃から、真竹(マダケ)や淡竹(ハチク)といった種類の竹を利用して、篭や建築物の素材などに使用されました。竹は、木を切り出すよりも簡単に手に入るため、古代の人々にも馴染みやすい素材であったのでしょう。また、縄文時代の代表的な遺産として、縄文土器があります。この「縄文土器」という名前の由来が「縄の紋様を押捺する」という加工方法から由来しているということは、ご存知の方が多いと思います。デザインという概念が、既に存在していたという歴史的事実の一つですが、この縄文土器の中には現在の竹工芸の、基本的な技法である「ざる編み」や「編代(アジロ)」といった模様が押捺されてあるものが発見されています。縄文時代の人々は、既に「竹を編む」という技術を身に付けていた証拠です。 弥生時代に入ると、竹工芸は急激な変化をしていきます。鉄などの金属が大陸から渡って輸入されると、石器よりも遥かに扱いやすい斧やナタ等を手に入れることができました。 これらの新しい道具により、竹を割る、削るという、材料作りの行程に革命的な進歩がもたらされました。より洗練され、高度な編み方の技法に耐え得る材料を手に入れた弥生人は、手の込んだ編み方を次々に発明していきました。 これによって新たな道具としての使い道も発見され、人々の生活がより豊かになっていきました。 [農村] 穀物を振るう「箕(ミ)」、苗、種などを入れる「種洗いざる」 肥料を入れる「肥ソウケ」、収穫物を入れる「籠(カゴ)」 [山村] 木こりの「ナタ籠」、「背負い籠」 [漁村] 竿などの「釣り具」、魚などを入れる「乾燥籠」 [都市] 炊事用具、籠 これらの生活用品は、時代を経ていくうちに、更に洗練された技法で作られつづけていきました。中には現在でも一般的に使用される道具もありますが、現在ではもっと便利な機具が発明されて、使われなくなったものも多いですが、それらは『民芸品』という名前で親しまれるようになり、全国各地で作られています。 仏教伝来 〜 仏具・神具からの発展 6世紀の中頃、中国から仏教が伝来されました。仏教は、当時の人々の心に存在した生の意味と死の不安といったものを解消してくれたため、以前よりも心安らかに生活を営めるようになりました。 宗教には、様々な形態の儀式や催しを行う必要があるため、仏具、神具などといった様々な種類の道具を必要としました。このような道具類も同時に中国から伝わりましたが、この中に竹を使用して作られたものがあります。 [正倉院に残る、竹の仏具、神具] 奈良時代から平安時代にかけて、役所やお寺などに、財物を集めて納めていた倉のことを『正倉』と言います。かの有名な『正倉院』という建築物は、いくつもの『正倉』を集めてさらに大規模にしたものです。その正倉院に残っている仏具・神具の中でも竹を使用して作られたものを紹介します。 尺八・笙(ショウ)・ソウ・華籠(ケコウ)といった楽器類 花洗い籠(したみ籠) これらの仏具、神具は、現在も現役として作りつづけられる道具もありますが、その多くは『伝統工芸品』という呼び名で、芸術品としての地位を確立しています。 茶道の普及 〜 茶道具、花器としての発展 更に時を経て、鎌倉時代に入ると、外洋船の発達に伴って、中国(宋)との文化交流が活発に行われるようになり、次々と大陸文化が浸透していきました。この時に、禅宗とともに茶道が輸入されました。 茶道は、まず僧侶達が嗜む物として輸入され、茶道を嗜んだ者が『茶人』となりました。やがて彼らは日本独自の文化として、「茶の湯」という概念を創造します。この概念は、形式よりも精神面が重要視される「わび」、「さび」という概念に、茶道を照らし合わせることで、より深く茶を愉しむことに繋がりました。『茶の湯』の精神は武士にも解りやすく共感できる所があった為、武家社会にも一気に浸透していくようになりました。そしてなにより、お茶というものはとても美味しいものですので、茶葉の生産が確立されていくと、やがて一般庶民でも楽しめるほど普及していきました。 さて、茶道に竹はどのように使われる経緯を辿ったかというと、竹の素材美であるところの「雅味」と、「茶の湯」の愉しみ方が一致したことによって、茶道具の素材として使われていきます。これは、当時の茶人達が、既に一般的に使われていた民具から、茶の湯に向いた技法と形を取り上げていったことにより、さらに竹の加工技術が深まっていくことに繋がりました。 室町時代の「村田珠光」や、安土桃山時代の「千利休」などといった優れた茶人に尊ばれた竹芸の「美」は、今日にも「桂籠」、「鉈籠(ナタカゴ)」、「宗全篭」、「烏帽子籠(エボシカゴ)」など、形として今に残っている作品もあります。 また、「花道」としても、神器、仏具としての花をいける用具として、竹が当然のように使われています。これは、花道においても「美」という部分において優れていた竹という素材が魅力的なものであった為、好んで用いられたものだと言われています。 茶道や花道によって使われてきた茶器、花器は、現在、「美術工芸」という呼び方をされ、同じように茶道や花道に使用されています。 以上が竹芸の大まかな歴史です。 次のページでは、現代の竹芸について解説します。 [←トップへ] [次へ→] |
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| 伝統工芸『竹工芸』の歴史、日本人と竹との密接な関係。『竹工芸』という芸術分野を分かりやすく説明します。 1.竹工芸の歴史 ・民芸品としての発展 ・仏具からの発展 ・茶道具、花器としての発展 2.現代における竹工芸 ・美術工芸 ・地方民芸 ・クラフト工芸 3.竹工芸の特色 |
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縄文時代の頃から、真竹(マダケ)や淡竹(ハチク)といった種類の竹を利用して、篭や建築物の素材などに使用されました。竹は、木を切り出すよりも簡単に手に入るため、古代の人々にも馴染みやすい素材であったのでしょう。
茶道は、まず僧侶達が嗜む物として輸入され、茶道を嗜んだ者が『茶人』となりました。やがて彼らは日本独自の文化として、「茶の湯」という概念を創造します。この概念は、形式よりも精神面が重要視される「わび」、「さび」という概念に、茶道を照らし合わせることで、より深く茶を愉しむことに繋がりました。